近頃、恋愛小説に付き・・・ 1
(これはあくまで私の考えなのですが)最近思うのですが、恋愛モノ、純愛モノは綺麗過ぎる、と言うか綺麗なモノしかない様な気がするのです。
多分、作家さん達は相手への暖かさや思いなどをも織り交ぜて描くために、二次元的に表すとどうしてもそうなってしまうのかも知れませんが、セックスとは、そんな綺麗なだけのモノなのでしょうか。
変な誤解を与えない為にも説明を続けますが、相手の事を全く無視した無理矢理な強〇やレ〇プ等以ての他で、あんなモノはただ心を含めた人体破壊、肉体を欠損させる行為以外の、何者でも有りません(どんなに百歩譲っても、非道で身勝手なオナニーです)。
私が言いたいのはそんな事では無くて(少しオーバーな部分もあるかもですが)、互いの心や気持ち、それまでの人生と言った目に見えないモノから、互いの肉体や体液、匂い迄をごちゃ混ぜにして徹底的に押し付け合い、溶かし合い、許し合って一つのモノへと昇華する、では無いかな、と(ごめんなさい、もしかしたら御気分を悪くされるかも知れませんが、どうか最後まで聞いて下さい)。
これはもしかしたら、ですけれども作家さん達はご自分達の経験や常識だけで物語を紡いでいるのでは無いのか、と思うのです(人間とは、誰しもが自身を基準にしますが、もしかしたらそれに縛られてしまっているのでは無いでしょうか。つまり、恋愛とは頭で考えてするモノでは無い、と言いつつも結局は頭で考えて書いてしまっている?)。
ですがもしかしたら御本人達が知らないだけで、本当に深くまで結び付き合った純愛で、滅茶苦茶に激しいセックスも有るかも知れません(ただし人間にはどうしても”限界”も有ります。一番良い例が骨格とか関節ですね、良く漫画とかで有りますが、如何に自身を”水だ空気だ”と思い込ませようとも、此処はどうにもならないのです。それに曾ては私も”ヨガを鍛えた人ならば”、とか思った事が有りますが、流石にダ〇シムの様な人は見た事が無いです)。
多分、作家さん達は相手への暖かさや思いなどをも織り交ぜて描くために、二次元的に表すとどうしてもそうなってしまうのかも知れませんが、セックスとは、そんな綺麗なだけのモノなのでしょうか。
変な誤解を与えない為にも説明を続けますが、相手の事を全く無視した無理矢理な強〇やレ〇プ等以ての他で、あんなモノはただ心を含めた人体破壊、肉体を欠損させる行為以外の、何者でも有りません(どんなに百歩譲っても、非道で身勝手なオナニーです)。
私が言いたいのはそんな事では無くて(少しオーバーな部分もあるかもですが)、互いの心や気持ち、それまでの人生と言った目に見えないモノから、互いの肉体や体液、匂い迄をごちゃ混ぜにして徹底的に押し付け合い、溶かし合い、許し合って一つのモノへと昇華する、では無いかな、と(ごめんなさい、もしかしたら御気分を悪くされるかも知れませんが、どうか最後まで聞いて下さい)。
これはもしかしたら、ですけれども作家さん達はご自分達の経験や常識だけで物語を紡いでいるのでは無いのか、と思うのです(人間とは、誰しもが自身を基準にしますが、もしかしたらそれに縛られてしまっているのでは無いでしょうか。つまり、恋愛とは頭で考えてするモノでは無い、と言いつつも結局は頭で考えて書いてしまっている?)。
ですがもしかしたら御本人達が知らないだけで、本当に深くまで結び付き合った純愛で、滅茶苦茶に激しいセックスも有るかも知れません(ただし人間にはどうしても”限界”も有ります。一番良い例が骨格とか関節ですね、良く漫画とかで有りますが、如何に自身を”水だ空気だ”と思い込ませようとも、此処はどうにもならないのです。それに曾ては私も”ヨガを鍛えた人ならば”、とか思った事が有りますが、流石にダ〇シムの様な人は見た事が無いです)。
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