義妹…≠…優 ?
私は母校ラグビー部の全国制覇を目指して、ライバル校との練習試合や県下に張り巡らした私設スカウトなどの情報に基づき、チームの底上げ等に奔走した。その間、花園には行くものの、悲願は達成出来なかった。10年あっと言うまに過ぎた。
心配してくれる人もいて
その人の紹介で愛と知り合い、忙しい合間を縫ってデートもする仲となっていた。愛は結婚を意識し、親を説得する前に外堀を埋める意味でか、帰省中の妹を紹介すると言って、デートの席に連れて来たのが優だった。
「おおお、優!」
「先生!」姉の前で、自然に純粋に再会した。
今回の帰省は知らなかったが、オリンピックには出場したものの、旧ソビエトや欧州の選手には歯が立たず…母校大学に残り後進の指導に当たってるとは優から聞いていた
「なんだ優。お知り合いだったのね。」という愛に、優は色々と説明をしている。
「それじゃ、話が早いわね」と愛が言って結婚の後押しを妹に依頼する。
「先生。姉とは私、大の仲良し。応援しますね結婚。姉さんよかったね」
優がいうと愛は
「当然よ、優。応援してね。あなたのお陰で私随分、陰では叱られたんだから親には。」だってねと愛は私に向き直り
「妹ったら、子供の時から何でも私が持ってる物欲しがって…姉は我慢しなさいって叱られるし」
「え〜。そうだったのか。でも俺も鼻が高いよ、オリンピック選手の妹なんて。優、こんな義兄でもいいのか」というと優は嬉しそうに笑って、
「先生こそ、ラグビー界のその筋じゃ取り沙汰されてますよ。地方に埋める人材じゃ無いって。呼ばれると思う中央から」
とかいう。
私と愛の結婚式は盛大だった。大学の同級生、全日本で活躍中の名を馳せた後輩たちも駆け付ける、オリンピック選手だった優は主役のようなモテようだった。「今度は優ちゃんの番ね」と親族からも冷やかされている。記念撮影も新郎新婦より多いかも知れない。こうして私は処女を奪った女と義兄妹となった。
13年前のあの日のことは頭に全くなかった。
私が36才。優31才。
それから一ヶ月程経った頃、全国大会の役員会で上京することとなり、ついでにと愛と義父のお土産を優のマンションに届けるよう頼まれた。
心配してくれる人もいて
その人の紹介で愛と知り合い、忙しい合間を縫ってデートもする仲となっていた。愛は結婚を意識し、親を説得する前に外堀を埋める意味でか、帰省中の妹を紹介すると言って、デートの席に連れて来たのが優だった。
「おおお、優!」
「先生!」姉の前で、自然に純粋に再会した。
今回の帰省は知らなかったが、オリンピックには出場したものの、旧ソビエトや欧州の選手には歯が立たず…母校大学に残り後進の指導に当たってるとは優から聞いていた
「なんだ優。お知り合いだったのね。」という愛に、優は色々と説明をしている。
「それじゃ、話が早いわね」と愛が言って結婚の後押しを妹に依頼する。
「先生。姉とは私、大の仲良し。応援しますね結婚。姉さんよかったね」
優がいうと愛は
「当然よ、優。応援してね。あなたのお陰で私随分、陰では叱られたんだから親には。」だってねと愛は私に向き直り
「妹ったら、子供の時から何でも私が持ってる物欲しがって…姉は我慢しなさいって叱られるし」
「え〜。そうだったのか。でも俺も鼻が高いよ、オリンピック選手の妹なんて。優、こんな義兄でもいいのか」というと優は嬉しそうに笑って、
「先生こそ、ラグビー界のその筋じゃ取り沙汰されてますよ。地方に埋める人材じゃ無いって。呼ばれると思う中央から」
とかいう。
私と愛の結婚式は盛大だった。大学の同級生、全日本で活躍中の名を馳せた後輩たちも駆け付ける、オリンピック選手だった優は主役のようなモテようだった。「今度は優ちゃんの番ね」と親族からも冷やかされている。記念撮影も新郎新婦より多いかも知れない。こうして私は処女を奪った女と義兄妹となった。
13年前のあの日のことは頭に全くなかった。
私が36才。優31才。
それから一ヶ月程経った頃、全国大会の役員会で上京することとなり、ついでにと愛と義父のお土産を優のマンションに届けるよう頼まれた。
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