夫の三回忌 <3>
「そもそも、佛教は、室町、平安、鎌倉の時代に一気に広まって行きました。私どもの先達のご苦労で・・・『朝には紅顔あって、夕方には白骨となる身』なのです…」
と言ったところで住職さんがお盆にお茶とビール缶を乗せて部屋に入って来ました。
「済みませんね、奥様。妻が京都に泊まりで…色気ないお茶で。…あっ、二人はビールを… 」
と言って私にお茶を薦めてくれました。
「あ〜、美味しいです」
一口飲んでから私は言いました。
「あの、お坊さんのお名前って、本名なのですか」私は兼ねてからの疑問を投げ掛けてみました。
「いいえ、仏門に帰依した時、授かります」
と言って住職は日めくりの卓上暦に
「範良、堅伸」と書いて(仮名)差し出しながら
「二人はこんな名前です」と言いました。
「範良さま、堅伸さま?とお呼びするのですね」
呟くように言いました。
「つまり、人生は一寸先は闇なんです!朝は元気に家を出ても夕方には死の報せが届くことも珍しくない!現にご主人様も事故で亡くなった。…」
範良様は続ける…
「いくら法要をしても、涙を流しても、呼んでも死んだ者は帰っては来ない!無!虚しさだけ!…ですから御仏の教えは、残された者にこそ、お力を授けてくれるのです。辛くても生きて行く力です。それが佛教なのです 室町平安鎌倉の時代に食う物も無く、虐げられた平民農民たちは、この世を、苦しみに耐え、南無阿弥陀佛と唱え極楽浄土に行く、仮の世だと説いたのです…今、時代は変わりました」
「今、人々の悩み、苦しみ、ストレスは多種多様です奥様だって人に言えない悩み、ストレスはいっぱいある筈です!」
範良様のお話は難しくて…だだ、『一寸先は闇、悩み苦しみストレスは多種多様である』のは判ります。
「はい!それはあります」私は素直に答えました。
「話しが長くなりそうだな。奥様は今日はお車?」と、住職さんが私に聞きます。
「いえ、会場から…お酒もありましたからタクシーで来ました」と言うと
「じゃあ、もう寛いで!どうぞ!ビールでも…」
と、奨めてくれたのです
時計を見ると七時半過ぎでした。
私は頂くことにしました
「奥様、聞かせて下さい」
と言ったところで住職さんがお盆にお茶とビール缶を乗せて部屋に入って来ました。
「済みませんね、奥様。妻が京都に泊まりで…色気ないお茶で。…あっ、二人はビールを… 」
と言って私にお茶を薦めてくれました。
「あ〜、美味しいです」
一口飲んでから私は言いました。
「あの、お坊さんのお名前って、本名なのですか」私は兼ねてからの疑問を投げ掛けてみました。
「いいえ、仏門に帰依した時、授かります」
と言って住職は日めくりの卓上暦に
「範良、堅伸」と書いて(仮名)差し出しながら
「二人はこんな名前です」と言いました。
「範良さま、堅伸さま?とお呼びするのですね」
呟くように言いました。
「つまり、人生は一寸先は闇なんです!朝は元気に家を出ても夕方には死の報せが届くことも珍しくない!現にご主人様も事故で亡くなった。…」
範良様は続ける…
「いくら法要をしても、涙を流しても、呼んでも死んだ者は帰っては来ない!無!虚しさだけ!…ですから御仏の教えは、残された者にこそ、お力を授けてくれるのです。辛くても生きて行く力です。それが佛教なのです 室町平安鎌倉の時代に食う物も無く、虐げられた平民農民たちは、この世を、苦しみに耐え、南無阿弥陀佛と唱え極楽浄土に行く、仮の世だと説いたのです…今、時代は変わりました」
「今、人々の悩み、苦しみ、ストレスは多種多様です奥様だって人に言えない悩み、ストレスはいっぱいある筈です!」
範良様のお話は難しくて…だだ、『一寸先は闇、悩み苦しみストレスは多種多様である』のは判ります。
「はい!それはあります」私は素直に答えました。
「話しが長くなりそうだな。奥様は今日はお車?」と、住職さんが私に聞きます。
「いえ、会場から…お酒もありましたからタクシーで来ました」と言うと
「じゃあ、もう寛いで!どうぞ!ビールでも…」
と、奨めてくれたのです
時計を見ると七時半過ぎでした。
私は頂くことにしました
「奥様、聞かせて下さい」
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