「………誰もいないのか……はぁ、はぁ、はぁ」
明らかに人気の無い店内は、
リルナの慣れ親しんだ光景からは隔絶したものだった。
―――いつもならマスターがこのカウンターで…。
いつもならあの舞台の上で…。
マスター、マスター………――――
「リルナちゃん……!」
声の主は店の奥から出てきたマキだった。
「あなたが久波くんね………。なかなか可愛いイケメンくんね」
リルナは『マスターは!?』と口を動かしたが、マキは首を振った。
「もう、連れていかれちゃった…。
あなたが働いた事実は最後まで隠していたわ。
あなたは嫁入り前の大切な娘だからって…。冗談じゃないわよね」
マキは顔をぐしゃぐしゃにして泣き崩れた。
――本当にマスターはいない。
この店にマスターがいないなんて…。
考えられない…。――――
「………物ヨ、忘れ物!」
「!?」
「私、眼鏡がないと、ものが見えなくって…。老眼かしら………ネ」
「どうした?…ああ、従業員か…。ん?随分若い娘が出入りしてるな?」
「…………従業員の子よ。男の子の方は私も知らない子……」
マスターはカウンターにあったお洒落用のダテ眼鏡を手にすると、
警察官に話した。
「正直、久波って名前を聞いた時には観念してたのヨネ。彼とは昔からの知り合いで…」
「そうか…。さ、用が済んだならさっさと行くぞ…」
マスターはリルナたちを振り返らず、
言った。
「久波くんみたいなイケメンて、
やっぱり中身が滲み出てるのよねェ。
あなたもそう思わないかしら?」
リルナは必死に声を出そうとするが、
上手くいかなかった。
マスターが、乗ってきたパトカーに向かって歩き出した。
「…………ありがとうネ。わざわざ」
「?…なにがだ?」
「私なんかのためにわざわざ、ありがとうネ」
リルナはその言葉を押し返すように、
叫んだ。
「ありがとうございました!!!!」
「!!!」
「?!」
「ありがとう…ございました!!!
今まで………たくさん…親切に……
親切に……してくれて…!!!!」
「なんだ?お前、若い娘とやはり繋がりがあるのか?」
「親切になんかした覚えないワ……」
「………?」
「”男”として、当然のことをしたまでヨ」
パトカーのドアが閉まった後、
リルナは今まで発することができなかったマスターへの感謝を、全て泣き、叫んだ。