「俺もだ。今までずっと抑え込んでいた物が破裂してしまったようだ。このような好色者は武士として失格だ」
「ならば与兵衛様。淫乱と好色で色情狂い同士、お互い様ですね」
「そうだな。いっそ地獄まで、お理津も連れて共に堕ちるやも知れぬ」
「いいえ、地獄には堕ちません。昨夜のお坊様は、天に昇られて逝かれましたから……」
お理津は気分が乗らない様子で、八幡神社の脇の回廊。足をぶらぶらとさせながら、暮れなずむ夕空を木立の向こうに眺めていた。
表の通りはいよいよ人通りも疎らで、しかし通りすがる男に声を掛ける気にもなれず。こんな日もある。と、思う。背中の擦り傷がまだ疼くのが、何よりの原因であった。
「今日は帰ってゆっくり寝てようかしらねえ」
筵を抱えて、とん、と地面に降りたその時であった。鳥居から境内に入った能楽堂の前辺りに影がひとつ。
「おう、お理津じゃねえか」
駆け寄って来たのは、久間であった。
「旦那……今日は勘弁して下さいな。なんかそんな気分じゃないんで……」
「早合点するな。俺が声掛ける時は必ず抱かせて貰う時みてぇじゃねえか」
「違います?」
「違うわ。それより腹減ってないか? 蕎麦でも食わせてやるが」
「あら、どう言う風の吹き回しだい?」
久間は役目を終えた後なのか、珍しく涼しげな着流し姿であった。
「いつもは並んで歩くのも憚るくせに、珍しいじゃないか」
「この格好だからな、誰も役人とは思うまい。それより、与兵衛から聞いたか?」
「何をです? 今朝出て行ってから是の方、与兵衛さんとは会ってないからねぇ」
「あいつ、仕官するって言ってただろ。その役処が決まったんだ。……お、取り敢えずそこの店にでも入るか」
弁天橋の袂に軒を構える一軒の蕎麦屋。その暖簾を二人は潜った。久間は椅子に座るなり主人に酒を頼む。卓が三つの小ぢんまりとした店。客は二人の他居ない。
「で、その役処ってのは何だい?」
お理津は酌をしながら話の続きをせがんだ。注がれたお猪口を一気に空け、息をついてから答える。
「村落取締出役の馬廻りだ」
「……なんだい、そりゃ?」
「ようは八州廻りみてえな旅役人の付き人だよ。随分と長屋を空ける事になるだろうな」
「なんだって!」
思わず大声を出してしまったお理津の前に、おもむろに蕎麦が運ばれて来た。
※つづく