留火の実家、大津国家はここ、小川町では(変人として)知られた“大津国流古武術家元”であり彼はその15代目として生を受けたがその発祥は今からおよそ四百年前、彼のご先祖である“大津国呂人”が強さを求めて全国を行脚し、修行の日々を送っていたことに由来する。
熱血漢で努力家だった彼は、その性質からかある一部の実力者たちからは可愛がられたらしく、例えばあの安倍清明の一族である土御門家に指導を受けたり、また伝説の剣豪として名高い宮本武蔵に弟子入りするなどして己を高め、やがて体得した奥義秘伝を一纏めにして全く新しい武術として大成させたのだ。
それこそが“大津国流古武術”であったがしかし、そんな武闘派一派の長男として生まれてしまった留火はだから、その悲哀を嫌というほど味あわされた、父である13代目当主、“大津国父祖”の教育方針により(事情があって14代目は一時、叔父である“大津国叔夫”が継いだ、だから彼は15代目)彼は同年代の子供たちが与えられる玩具やお菓子、または享受出来る自由や希望をおよそ徹底的に排除され、代わりに“死ぬか”と思うほどの修練を、息つく間もなく押し付けられてきたのだ。
その朝は早くて毎朝午前四時には起床、経文を唱えながら頭から冷水を何度も被り、それが済むと今度は十キロのランニング、片腕の指一本で行う腕立て伏せやスクワットなどを三百回以上こなした上でシャワーを浴びて体を流す。