その“伶くん”が振り向くこともなかったから、私の中の彼の姿は「艶やかな黒髪」だけだった。
そんな彼と二人きりになるのは気まずいけれど、テレビのある、そして多分伶くんのいるリビングを通らないと、玄関には辿り着けない。
仕方なく、そろそろと廊下に出た。途端にミシッと床が軋んだ。躯が跳ねる。
「…誰?」
初めて聞いた彼の声。高く掠れた、幼さと大人の色気が入り混じった声。
「あ、あのぉ…」
そっとリビングに顔を覗かせると、テレビ、テーブル、ソファーと、その上に座る山田伶の姿があった。
「ああ、兄ちゃんの彼女」
乱れを知らないなだらかな声が、紅い唇から発せられる。髪と同じように真っ黒な艶をもつ瞳。それとは対照的に白い肌。華奢な躯。
初めて見る彼氏の弟の姿に見とれてしまっていた。