いつもと変わらない授業風景。
教科書を読みあげる教師の声と、黒板に文字を刻むチョークの音を聞きながら、相澤 光(アイザワ ヒカル)は窓の外を眺めていた。
ヒカルの席は教室のほぼ中央にあり、窓の外を眺めようとしても殆んど見えるものなど何も無い。
だから“眺めていた”と言うよりは“向いていた”と言った方が正しいだろう。
授業を受ける気が無いというわけではない。
前を見る事が出来なかったのだ。
その最たる理由は――。
「コラ、相澤。俺の話ちゃんと聞いてるのか?」
この男。橘 敬司(タチバナ ケイジ)である。
敬司はヒカルの通うこの高校に去年赴任してきた国語教師で、眉目秀麗・才色兼備という言葉が嫌味なほど似合う男で、男女問わず人気の若手教師だった。
「そんなに俺の授業はつまらないか?」
「べつに…」
ぶっきらぼうに応えるヒカルに敬司は溜め息を吐いた。
困惑の表情で溜め息を吐く姿さえ麗しく、周りからは別の意味の溜め息が漏れ聞こえる。
「まぁ、いい。耳だけこっちに向けといてくれ」
愁いを帯た表情が酷く様になっていて。
(…ムカツク)
授業を再開した敬司をやはり見る事は無く、ヒカルは視線を窓から自分の机へと移し、その声だけを聞いていた。
耳に馴染む落ち着いた声音は嫌いじゃない。
それでも記憶の奥に引き込まれそうになる自分を抑えるのに必死だった。
願うのは早くこの授業が終わる事ばかり。
しかし、大抵そういう時の時間の流れは遅く感じるもので、ヒカルの視線は時計と教科書とを往復し続けていた。