貴子は、手の平を上に向けて、トントンとテーブルを叩いて催促した。
「コーチ、車のキィ…貸して下さい。…コーチには私の気持ち、判って貰えて居ません!」
私は黙って貴子の顔を見つめていた。
貴子は、やがて手を引っ込めて俯いた。
「…よく男は妻のことを『釣った魚』と言いますよね。…夫は私のこと、そうは言わないかも知れない。車もお金も、自由も与えている、と。エサは与えている愛情を注いでいると言うのでしょう。……女って、お馬鹿じゃない!夫は誤解してます。贅沢さえさせれば妻は満足なんだと…。
…それじゃ、ひと時だけでも、釣られる前の魚に戻って、泳いでやろうじゃないかと私、考えた。
…でも、セックスの不満を他の男で解消するようなふしだらなことは出来ない。…ジムで…泳いで、泳いで、泳いで…クタクタになって眠ります。
前にも言いました。
…私は、淫らな女だけど…ふしだらな女じゃありません!
初めて私は夫以外の男性から、釣られた。
その人も…エサはくれないの?…いいタイム?優勝?それだけ?結果だけ求めれば満足ですか?
私に取ってはそれは副産物。…エッチで楽しい練習、私はプロセスを楽しむの。今更、オリンピックを目指す訳じゃありません……」
貴子の言葉に私は返す言葉がなかった。
「女が生きて行くのに何が必要だと思いますか?
…どきどき、わくわく、ときめき 感動、快感などが必要なんです。
犯人のバレた推理小説を読むような人生なんて…耐えられない」
私の脇を汗が流れた。
「セックスレスの女の気持ちなど…判って貰えないでしょうねコーチ…」
ラウンジでコーヒーを飲みながらする話しでもなかった。
「貴子さん、解った!一言もない。言い訳もしないで謝るよ。これからドライブしながらフィットネスクラブに行って入会手続きを済まそう」
私は立ち上がり、会計を済ませて歩き始めた。
助手席で貴子は、
「コーチ、失礼しますね…私、体が震えて……」
と言ってリクライニングを倒して目を閉じた。
「大丈夫?」
私が言うと
「ごめんなさい。私、本当にストレス溜めてるんだわ。…あんな失礼なこと、よく言えたと思って…恥ずかしくて…震えが止まらない。嫌いになったでしょ?こんな女」
「こちらの言うセリフですよ。コーチ失格だ」