「そうです!私があなたの旦那さんになり、あなたが私の妻の名前を名乗り…食事するんです」
私は笑いながら言ったが女は黙って私を見つめるだけだった。
「昔、東北地方で酒作りの杜氏など出稼ぎに出た男や女がね、出稼ぎ先で、互いに本名は名乗らず国に残した愛する妻や夫の面影を出会った相手に重ねて、『あなた』『おまえ』と呼び合って、一晩を抱き合った って話し…何かの本で読みましたよ!…泣けた!泣けた!日本はまだ昔から何も変わってないって思いましたよ…」
女はビールを大きく飲んで、箸を握った。
「それで…単身赴任は残酷って…言ったんですね?…何だか、切ない話」
呟くように言った。
「あっ、このアラ煮、美味しいですよ!大根も味がしみてて。…イカ素麺も。食べてみて!」
又、女は話題を変えた。
「へえ、こんな美味しいお店があったんだ!知らなかった」・・・今度は私が黙って箸を進めた。
「ねえ、おビール貰っていいかしら?」
「どうぞ、どうぞ!何杯でも」私はアラの骨を摘み出しながら言った。
テーブルの上の呼び鈴を鳴らして店員を呼んだ。
「あっ、今度は、一番小さなジョッキで…」
女は店員に言った。
障子が閉まると女は
「教えて下さい!奥様のお名前!私の名前!」
と言った。 私は 「アキコ、家ではアキと呼んでます」
「アキコさん。アキですね。…私だってマサハルさんとは呼ばないわ。…あなた と呼びます。…あなた、でいいですか?」
「あははは…いいですね…あなたがアキで私はマサハル、あなたですね!互いに夫婦で食事してるみたいで…楽しいです…おい!アキ、いつからそんなに綺麗になった!美容整形でもしたのか?浮気してないだろうな?とか言いながら、あはは」
「あなたこそ!少しスマートになったみたい。お食事、ちゃんとしてる?…うふふふ!」
障子の外から声があって、ジョッキが運ばれた。
「私、昼間から酔ったみたい!ごめんなさいね…でも、楽しいランチ!」
と言った。
「ホントのこと、言いましょうか。デパートの洋服売場であなたを見掛けて、後をつけた訳じゃないけど、地下まで着いて行っちゃった!…面影を出会った相手に重ねるって聞いた時、私、ドキッとしたわ!…どうしても人ごとと思えずに……ねえ、あなたも飲んだら?代行運転でいいじゃない…飲みましょうよ。こんな楽しいの久しぶり!」
女はいい笑顔だった。