私が嫁いだところは隣県との県境に近い島根県の海岸沿いの村である。
海岸線の砂地を利用して『畑芋』という山芋の改良種を手広く生産している。
販売先は京都、奈良の高級料亭で、産地直送方式で行っている。
一部は市町村の観光課からの要請を受けて、道の駅や土産品売り場などにも卸す。
産地直販品は袋に入れて生産者のプロフィールを写真付きで印刷しなければならない。
京都から嫁に来た時、義父は私の写真をビニール袋に印刷した。
私としては意識しなかったが、客や市町村の職員、村の男達から”美人だ、綺麗だ”などとおだてられた…
27才で嫁に来た当時、地元テレビ局が芋づくりを取材に来たこともあり、私が対応したことから好色そうな一団が訪問することもあった。
美人か綺麗かは知らないが、京都の独身時代はモテた方だとは思う。
私の実家とこの家が先々代からの付き合いがあったことから、お見合い同然で嫁に来た。
実家は兄が跡を継ぎ京都でも中堅どころの料亭である。
ところが私が 37才になった年に主人がポックリと亡くなったのだ。
もう、三年前だ。
主人の一周忌を勤めた直後、義父は『申し訳ない。菊さん、実家に戻ってくれても構わない。まだ若いし、菊さんならまだ貰い手も居るだろう。自分らのことは考えず、菊さんの将来を考えて欲しい』
と義母と二人で言ってくれた…。
私は表向き、『年老いた義父さん、義母さんを残して戻る訳にいきません自分が昭夫さんの後を継いで畑に出ます。安心して下さい』と言った。
私がこの地を離れられない理由があった。
誰にも言えない秘密である。
主人の百ケ日法要を済ませた夜、その男と会ったのだった。会ったと言うのか……抱かれたのだ。
『男』としか判らない。…顔も名前もどこの誰かも判らない『男』。
主人の昭夫は男らしいキリッとした顔をしていたし、優しい男だった。
結婚しても私が畑に出ることを嫌って、もっぱら営業マンの役目を私にくれた……そして、夜は可愛がってくれた!
セックスに関しても、変な表現だが『調教された』と言っていい程、昭夫の自分好みの体にされてしまっていた。
生理以外の日は必ず抱いてくれた。
『菊、もし、俺が死んでボボしたくなったらな…門の表札を裏返しにしとけ!…その晩、男が裏から来て菊を可愛がってくれるけ…俺がその人と約束した夜ばいの合図じゃ…後、親父を頼むぞ』