「来たね」
立ち入り禁止を示すロープの前に小早川…はいた。
僕はあれ以来「さん」づけで考えられない。
どう考えていいかわからないでいる。
キンモクセイの甘い香りが空気に溶け込んでいる。
夕闇を背にした青松館は寒々しく映り、僕は多少ぞっとした。
明らかに人気はなく…明らかにそれを意図して誘われたのだ。
いつもの可愛い小早川なんかじゃなく、黒猫が僕を見返している。
薄い茶の瞳が夕空のもとではまるで金色。
服は黒一色で上品なピーコートを着ている。
学校の「理央」でないことは一目瞭然だ。
うすら笑いが張り付いていて、僕は目を逸らした。
鼠になったような気がする
鋭い爪の餌食にされる直前の。
「何か用?」
「用があるから呼んだんだろ?行こう、英士」
馴れ馴れしい呼び方だが、口調は全く馴れ合ってはいない。
僕はしばし対峙しながら、唾を飲み込んだ。
いざとなれば、小柄な小早川より僕に分がある。
頷いて踏み出した。
真横に並んだとき、小早川は僕の腕に自らの腕を絡めた。
「ここから先はさ…君の妄想だよ」
「妄想?」
繰り返す僕を見上げた。
「そう…」